松本城の見どころを解説!歴史・特徴・料金・アクセスまで

こんにちは。
最近、車の免許を取ったみきです。運転するのは、まだ怖くておっかなびっくりだけれど、どこかにドライブに行きたいな~と思う今日この頃。

さて、今回は身近ですが、意外と知らない松本城の歴史や特徴についてまとめたいと思います。

松本城国宝 松本城 松本城を楽しむ公式ホームページ 

松本城は1年を通して様々なイベントが行われる松本市民のランドマーク的存在。
しかし、松本城の敷地には入ったことはあっても、天守閣に登ったことがなかったり、歴史はほとんど知らなかったりという人は意外と多いのかもしれません。
歴史は苦手という方もいらっしゃるかもしれませんが、なるべく簡単にまとめて行きたいと思うのでお気軽にお読みください。

そもそも松本城ってどんなところ?

現在、日本には天守の建物を残す城が12しかありません。
松本城は国宝であり、現存最古の5重6階の木造天守です。
黒と白のコントラストが山々に映える美しい城です。
(ちなみに、5重なのに、6階もあるのは、3階が隠し階だからです。)

松本城は誰が何のために建てたの?

豊臣秀吉の家臣である石川数正、康長という親子が江戸の徳川を見張るためにつくったとされています。

時代を遡って説明していきたいと思います。

松本城は戦国時代に造られた深志城が始まりです。
戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃の守護小笠原氏は、現在の松本市山辺地区の林城に移りました。その家臣らは林城を取り囲むように、支城を構えて守りを固めたのです。深志城も、林城の全面を固めるために1504年に島立右近貞永によって造られたと言われています。しかし、深志城についてははっきりしない部分が多く、松本城築城にどのように引き継がれたかはわかっていません。

その後、甲斐の国の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。

さらにその後、1582年に小笠原貞慶が本能寺の変による動乱に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めたのでした。

豊臣秀吉は1590年に天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。このとき松本城主、小笠原秀政が家康に従って下総に移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じました。数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守・乾小天守・渡櫓)はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造り、本丸・二の丸を固め、三の丸に武士を集め、また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。天守の築造年代は、1593~1594年と考えられています。

松本城の天守の特徴は?

松本城は戦国時代と江戸時代という異なる時代の天守・櫓(やぐら)が結合しているのが特徴です。

松本城 天守群1国宝 松本城 松本城を楽しむ公式ホームページ

大天守・渡櫓・乾小天守は、戦国時代末期に関東の徳川家康を監視するために築造されました。戦国大名が領国をめぐる争いを繰り返していた時代なので、常に敵と戦い、敵から領国を守ることを念頭にした戦略拠点としての性格が強いです。

戦いを想定した備えとして、この3棟には、鉄砲狭間(さま)・矢狭間という弓や鉄砲を放つための小さな窓が115か所設置されています。

1階壁面には石垣を登る敵兵に石を落としたり、熱湯等をかけたりして、天守を守る装置である石落11か所設置されています。戦いの主要武器が火縄銃となった戦国末期にはここから這い上る敵兵に火縄銃を撃ったと考えられています。

松本城 石落 外部から

松本城 石落 内部から上:外から見た石落 下:石落を内側から覗いた
国宝 松本城 松本城を楽しむ公式ホームページ

天守の壁は1・2階で約29センチメートルと厚く、また内堀幅を火縄銃の高い命中精度が維持できるぎりぎりの約60メートルとして、鉄砲戦の備えを持っています。

一方、それから40年後の江戸時代初期の平和になった時代に、戦う備えをほとんどもたない辰巳附櫓・月見櫓の2棟が建てられました。

松本城 天守群2国宝 松本城 松本城を楽しむ公式ホームページ

このように、戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は日本唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつです。

松本城と市民

江戸時代が終わると城は不要なものになりました。
そのような中で、現在まで松本城を守り続けてきたのは、住民の力

廃藩置県になって藩は解体し、城郭は売り払われたり取り壊されたりされる運命となりました。松本でも明治4年末ころから門や櫓などが壊され始めます。

天守は当時のお金で、235両永125文で個人に売却されました。
しかし、これを知った松本町横田の副戸長であった市川量造は、天守がみすみす壊されてしまうことを憂い、これを買いもどそうと尽力します。地元ばかりでなく東京や大阪にも足を運び、人々に広く募金を呼びかけました。さらに天守をつかって、当時はやりであった博覧会を開き人々に骨董品の展示を見てもらって、その観覧料を資金にあて買い戻しに成功しました。

市川量造市川量造 松本市ホームページ

明治の修理後、時間の経過とともに再び建物に傷みが見えるようになりました。
太平洋戦争後には当時の市長や市民の熱意によって、昭和25年から5年かけて解体修理が行われました。

松本城 昭和の大修理昭和の大修理 松本市ホームページ

この時、解体と平行して調査も行われ、その結果に基づき、かつての姿にもどす工事がなされました。
そして、現在私たちが目にする松本城の姿になったのです。

現在でも松本城を保存・活用する活動は、日々継続して行われています。
保存整備計画に基づき、黒門枡形や門の復元、二の丸御殿跡の発掘調査と整備、さらに平成11年には太鼓門の復元などを実施し、最近では総堀の土塁跡の一部復元も行われました。

松本城 太鼓門太鼓門  国宝 松本城 松本城を楽しむ公式ホームページ

ぜひ松本城へ

私自身、松本に住みながらも、「松本城は誰のお城なのか」など松本城について知らないことが多く、気になったので今回記事にしてみました。
少しでも多くの方に松本城について改めて知っていただき、「行ってみたい」と思って頂けたらうれしいです。

8月の間は天守閣に登るまで何時間も並ぶこともありましたが、9月に入れば比較混雑も緩和すると思います。
松本城天守観覧料は、松本市立博物館との共通券で、大人:610円、小中学生:300円です。
ぜひ行ってみてください。

今回はみきがお送りしました。また次の記事でお会いしましょう。

参考

国宝 松本城 松本城をより楽しむ公式ホームページhttp://www.matsumoto-castle.jp/
松本市ホームページ https://www.city.matsumoto.nagano.jp/miryoku/siro/rekishi.html
国宝松本城を世界遺産に http://www.oshiro-m.org/history/

 

ご意見番





取り上げてほしい推薦や企画、募集中です!